Page.0001



 まずは私の自己紹介をしておこう。私は山の上に要塞の如く聳え立つ某大学の二回生である。私の下宿から大学校舎までは三〇〇〇m程度の距離がある。山の上の大学というのは通うだけでも一苦労である。下宿から大学の校門及び、駐輪場までが二七〇〇m。残りの三〇〇mは急な登り坂になっている。名を地獄坂言い、最大傾斜二七度というスキー場のゲレンデさながらの急勾配で我々学生を迎え撃つ。二七〇〇mを自転車でおよそ一〇分、そこから三〇〇mを徒歩でおよそ一五分。通ったという努力を大学に認めさせ、単位の取得を申請したい。車で楽に通勤する大学職員の主張する異議など一切認めない。
 私は一回生のときから軽音楽サークルに所属している。楽器経験は多少あったが、吹奏楽でトランペットをかじった程度だったので、経験が生かされることはなかった。入学当時、文学サークルに入りたかった私がなぜ軽音楽サークル「カシオペア」に入ったかは、これからゆっくり話していかなければなるまい。
 入学当初の私は高校生時代で不本意ながらもしまい込んでいた青春という美しくも脆い羽を、大学と言う希望に満ちた晴れ舞台で一気に広げ、大学生活を謳歌させようと考えていた。大学生活最初のイベントとして大学の説明会と称した一泊研修なるものが存在する。しかし、説明会というのは名だけであって、高原の真ん中に建つ古い旅館に一泊し、学生間の交友を主な目的としている。部屋割りは一部屋五人。基本的にはそこで同じ部屋になった四人と親交を深めることとなる。私の部屋は二人は茶髪で一人は青色メッシュ入りの金髪、そして、指輪とネックレスとピアス。染髪とアクセサリー三点は大学生活の基本セットなのだろうか。というより、この人たちは三月まで本当に高校生だったのだろうか。そんなに簡単に変わることのできる方法があるのならば、私にも是非教えていただきたい。私は、茶髪の一人が狐のような風貌だったので茶狐、もう一人の茶髪は携帯の待ち受け画面がなぜか人参だったのでニンジン、青色メッシュの金髪は下ネタばかり言うのでエロメッシュと言う愛称を心の中で密かに決めた。その三人はすぐに意気投合した様子だった。私は容姿と調子に明確な差異を感じながら適当に話を合わせていた。しかし、三人との溝が深まるばかりだったので、私が得意とする逃走呪文「ちょっとトイレ行ってくる」を唱え、トイレへと逃げ込むことにした。さて、残りの一人が見当たらない。どこにいるのだろうか。私としては、残りの一人に希望を託したい。
 トイレを済ませ、旅館内を散歩しているとピーマンが女湯の前で立っていた。覗くつもりなのだろうか。しかし、ピーマンのような男は「おこんばんは」と、こっちを見もせずに言った。私に言ったのだろうか。ここには私と彼以外にいないようだが。 「何きょろきょろしてるんですか。挙動不審ですよ」
 女湯を覗こうとしていたこいつに言われたくない。
「うるせぇ。何してたんだよ。覗きか?」
 ピーマンはニヤッとしながら答えた。
「そんなわけないじゃないですか……人間観察ですよ、人間観察」
 何が人間観察だ。覗きではないか。
「さて……あなた私と同じ部屋でしょう?」
「ん? いや、そうなのか?」
「そうですよ。波沢です」
 彼は私に手を伸ばした。
「あ、あぁ……初めまして」
 私は手を伸ばした。
「何やってんですか」
 ピーマンは私の手をはたいた。まだ雪も残る残冬の初春で冷え切りかじかんだ手に痛みが走った。骨の髄にしみる痛みであった。
「いてっ! なんだよ」
「私は男の手は握らないのです……イヒヒ……それでは、またあとで」
 こいつが本当に私の部屋の最後の望みなのだろうか。もし本当なら望みは崩れたも同然である。
 私は爆破され崩壊するビルのように崩れ落ちる心と望みの音を聞きながら、ふらりふらりと部屋のドアを開いた。
「いやー、それはおもしろいですねぇ」
 やはりピーマンの声が聞こえる。私はこそこそと部屋の空気に溶け込みながら、無色透明になりつつ自分の座布団に滑り込んだ。誰も私に気づいてくれるな。私は座禅を組んだまま、二日間を過ごすのだ。石の上にも三年ならぬ、座布団の上にも二日である。そんな阿呆な念仏を心中で唱えていた私を見たピーマンは「あっ、あの人さっき女風呂覗いてましたよ」と言う奇抜な色で私を染め上げた。私が変質的性癖の持ち主だというレッテルを貼られ、不本意な二日間を過ごしたのは言うまでもない。



次へ
戻る
to theMain



Copyright (C) 2010 藤沢侑麻 All Rights Reserved.